試合終了のホイッスルは、次の試合への始まり

試合終了のホイッスルは、次の試合への始まり

まずは、最終節の結果報告。

vs Forrest Hill Milford

2-2 draw 1アシスト

ベンチスタート 前半30分から途中出場

 

大雨の影響で、田んぼのような荒れたピッチコンディション。

ドリブルもパスも出来ない酷いグラウンド状況。

僕はベンチスタートでしたが、味方の負傷により前半から途中出場。

先制されていましたが、すぐに僕のアシストから同点に追いつきました。

しかし、更にもう1失点して2-1で前半を折り返します。

後半は更に天候が悪く、サッカーというよりはラグビーだった。笑

そんな状況でも、チーム全員が泥だらけになりながら必死に身体を張って、とにかく走って、ゴールを目指すことが出来ました。

終了間際に同点ゴール。最終節は引き分けで終了。

最後の最後で、やっと連敗を止めることができた。

勝ちきれなかったけど、連勝していた頃のようにチーム一丸となって泥臭く戦うことができたので、僕はとても充実感を感じた試合でした。

 

 

 

そして、もうひとつ重要な報告。

シーズンと並行して、NZトップリーグに所属するチームのトライアルに参加していました。

ですが、そのチームには入団できませんでした。

更に、そのトライアルに時間がかかってしまい、他のチームのトライアルを受けることが出来ず…

結果、10月から始まるトップリーグに移籍することが出来ませんでした。

10月からもこの国でプレイするには、トップリーグに移籍しなければならないのですが、移籍できなかった僕はプレイする場所を失うことになりました。

ビザの関係もあるので今回所属したThree Kings Unitedで来期プレイすることも難しく…

今後ニュージーランドでサッカーを続けるのは厳しいのが現状です。

 

 

「駄目なら、早く結果を教えてくれれば他のチームにトライアルいけたじゃん!!」って、最初は正直思いました。

でも、それも含めて今の自分の実力なんだと思います。

リーグ戦でもっと活躍していれば、トライアルではなく、入団のオファーをもらえていたかもしれないし、本当に必要とされる選手だったら、他のチームからもっと積極的にアプローチされていたかもしれません。

もっと実力があれば、トライアルを受けたチームに入団できた訳だし。

移籍に関しては運とかタイミングも必要な要素かと思っているのですが、今回の自分はそれも無かったです。

運を引き寄せるにふさわしい日頃の努力も足りていなかったのかもしれません。

サッカーの神様から「お前はまだまだ甘いよ!」と言われてる気がします。

 

 

ただ、サッカー辞めようという気持ちは全くありません。

サッカーが好きなんで、まだまだサッカーで挑戦したいです。

この国に来て、改めてサッカーが出来ることに幸せを感じることができたからね。

4年前、当時サラリーマンで、病院のベッドの上で『もう一度サッカーする』と誓った頃の自分に、「その夢を叶えて、少しずつだけど理想に近づいてきてるよ!」と言ってやりたいですね。

今回は結果が出なかったけど、着実に階段を登れている実感があるのも事実です。

その感覚を実感すると、自分自身にワクワクしてきます。

この気持ちがある限りはサッカー続けます。

 

 

今回所属したThree Kings Unitedで出会ったチームメイトやスタッフには、本当に感謝しています。

英語が分からない自分に、いつも気を使って絡んできてくれる年下の選手や、ボールの無い時の動きを簡単な英語にしてアドバイスをくれるクラブワールドカップに出た経験のある選手、移動の時いつも車に乗せてくれて英語を教えてくれた選手、僕をほとんどの試合でスタメンで使ってくれてトライアルのチャンスも手伝ってくれた監督。

書き始めたらそれだけでブログが埋まってしまうくらいまだまだあるのですが、、、暖かいチームメイトやスタッフに出会えたことは一生の財産だと思っています。

サッカーの勝ち負けは勿論大切ですが、それ以上に人生で大切なことを沢山学べたと思っているので、僕にとってはあまり結果は重要じゃないのかもしれません。

この考え方はサッカー選手として良いか悪いのか分からないのですが…

いまは、素直にそう思っています。

 

チーム関係だけではなく、現地で出会ったサッカー選手達や、お世話になった日本人の方々、現地の方々…

感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

今後の予定はなにも決まっていませんが、一度日本に戻って仕切りなおそうと思っています。

 

これからも、泥臭く雑草のように僕はサッカー続けていきます!

About The Author

大津 一貴
夢を諦めて一般企業へ就職するも、22歳でがんを患い生き方を改める 。その後、脱サラして海外でプロサッカー選手に。モンゴル1部・FCウランバートル所属。1989年10月25日生まれ、北海道出身。

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