かなり遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
このブログを書いている今現在、僕は今年どこでプレーするか決まっておりません。
しかし、と言っていいのか…
だからこそ、と言っていいのか…
それは分かりませんが、なぜ自分がサッカーをプレーするのかを改めて考えてみました。
僕の場合、ざっくり言うと「サッカーが好きだから」です。
これに尽きます。
選手それぞれ、サッカーをする理由は違うと思います。
ブラジル人の選手は、家族を養うためだ!と言うかもしれません。
アフリカ人の選手は、お金を稼ぐためだ!と言うかもしれません。
だけど、僕の場合、
「サッカーが好きで、サッカーがしたいから。」
これ以上もこれ以下もありません。
純粋に、自分の心がそれを求めているからです。
その気持ちに、素直に従っているだけです。
だけど、その”好き”って何なのでしょうか。
”好き”を、より深く考察してみようと思います。
目次
自分が生きていることを深く実感できる
プロサッカー選手として生活するには、試合で結果を残す必要があります。
練習でどんなに良いプレーをしようが、練習時間外でどんなに自主トレをしようが、試合で結果を残さなければ生き残れない場所です。
【結果を残す場所=試合】という土俵に立つ為にも、まずはチームに所属しなければなりません。
仮にチームに所属できたとしても、試合に出場できるのは11人。
チーム内でのスタメン争いに勝たなければ試合に出れません。
更に、もし海外でプレーする場合は外国人選手となるので、外国人枠としての出場となります。
人数制限があるので、更に狭き門をくぐる必要があります。
海外に出て過去4シーズン、この作業を繰り返してきましたが、楽なものではありません。
【結果を残す場所=試合】という土俵に立つまでに、かなりのパワーを使います。
だけど、その土俵はゴールではありません。
やっと、スタートラインです。
だけど、このスタートラインに立てる人って、物凄く貴重な経験をしていると思います。
誰もが立てる場所ではなく、限られた人間にしかできない経験。
もっと言うと、そこに向かうまでのプロセスを経験できることも、限られた人間にしかできないこと。
なので、その場所に立てることだけでも、めちゃくちゃ感謝ですよね。
特に僕の場合、一度サッカーから離れた期間もあったので、グラウンドの上に立つと、よりサッカーができることへの感謝の気持ちが沸いてきます。
そして、自分が生きていることを深く実感します。
「おれ、生きてるな。命があることに感謝だな。」
僕の場合、これを実感できるものがサッカーなので、サッカーが好きです。
言葉では言い表せない快感
上記でも述べたように、【結果を残す場所=試合】という場所に立ってからが本当の勝負。
結果とは、チームという括りで考えた場合、試合に勝つことを意味します。
相手チームより、90分以内により多くのゴールを決めること。
個人という括りで考えた場合、チームの勝利へどれぐらい貢献したか。
僕は攻撃的な役割が多いので、目に見える結果が求められます。
簡単に言うと、ゴールやアシスト。
毎試合ゴールを決めてチームの勝利に貢献することができれば最高ですが、そんなに簡単なことではありません。
また、ゴールやアシストをすることが個人のエゴになってしまうことも、僕は違うと考えます。
ゴールやアシストは、全てチームが試合に勝つため。
”試合に勝つ”という目的から逆算すると、試合展開によっては、自分が無理やりゴールを奪いに行く必要が無い場合もあります。
バランスを取ったり、時間を稼いだり、味方にゴールを取らせる方が良い場面も存在します。
ただ、個人としても結果を残さなければ生き残れないのが、この世界。
その辺のバランスはとても難しいです。
(でも最近は、チームの勝利を追求すれば、自ずと個人の結果も付いてくる感覚が少しずつ身についてきました。)
結局何が言いたいかというと、結果を出す作業というものはとても大変だということ。
そしてサッカーの場合は、個人競技とは違うので、チームメートと協力する作業が必要不可欠になります。
個人で技を磨くだけでは試合に勝てません。
個人と個人が融合する必要があります。
だけど、個人の技術やパワーを常日頃から高める必要があります。
そういう点では、個人競技より難易度が高いでしょう。
だからこそ、やりがいがあります。
自分がゴールを決めて試合に勝った瞬間は、
言葉では言い表せられない程の喜び、感動、感激、歓喜、熱気、興奮、衝撃…
これらの感情が、心の奥底から一気に溢れ出てきます。
この一瞬だけ味わえる快感がたまらないです。
そして、この感覚を一度味わってしまうと、「また味わいたい!」と思ってしまいます。
割合で言うと、苦しいこと、難しいこと、厳しいことが9割かもしれません。
だけど、
「また結果を残して、あの快感を味わいたい!」
自然と身体が求めてしまいます。
中毒みたいなものかもしれません。
”結果を残す”という難解な作業を達成した瞬間にだけ味わえる、一瞬の快感が忘れられないから、僕はサッカーが好きです。
可能性は無限大 その①
僕が子供の頃、憧れたのは世界のサッカー選手達。
ベッカム、ジダン、デルピエル、ロナウジーニョ、中田英寿…
幼い頃の大津少年に、夢を与えてくれました。
その結果、今年30歳となる現在も、僕はサッカーをしています。
間違いなく、子供の頃に僕が夢見たサッカー選手達全員の影響です。
彼らのプレーや生き様を見て、僕の人生が変わりました。
そんな夢を与えてくれたサッカー選手達には本当に感謝です。
そして、今は自分がサッカー選手として子供達に夢を与える立場に変わりました。
と言いながらも、ベッカムに比べれば、僕が人に求められている数は桁違いに少ないでしょう。
だけど、少人数だったとしても、応援してくれる人がいること。
大津一貴という選手を通じて、夢を持ってくれる人たちがいること。
サッカーというスポーツには、沢山のパワーが詰まっています。
自分が全身全霊を込めてサッカーをすることで、他人の人生を動かすことができるかもしれない。
僕の人生が変わったように。
サッカーというスポーツの可能性が無限大であることから、僕はサッカーが好きです。
可能性は無限大 その②
自分が日本にいる期間は、様々な年代の方々と一緒にサッカーをプレーします。
小さい子供たちから、自分よりも年上の方々まで、性別年齢問わず一緒にボールを追いかけます。
それは、国を超えても一緒です。
言葉が通じない、ましてや英語すら通じない人たちとも、ボールがあれば一緒にプレーできます。
現地のチームメートとは勿論のこと、子供や大人とも一緒にプレーできます。
プレーするにあたり、年齢、性別、国籍、文化、歴史、体格、レベル、スタイル、言葉、肌の色、宗教、生活水準…
全てが違ったとしても、人と人を繋いでくれる役割を果たしてくれるのが、サッカーです。
そこには、プロの世界で求められるような結果は存在していません。
純粋にサッカーを楽しむのみです。
その気持ちの共有が、トモダチになるきかっけとなり、仲間になります。
たったボール1つで、見ず知らずの人間と気持ちが通じ合うことができます。
そして、人との出会いを通じて、僕の人生は更に豊かになっていきます。
出会った人たちから沢山刺激を受け、自分の人生を生きるパワーへと変わります。
サッカーを通じて、人生が豊かになる。
その事実は、競技人口世界1位のスポーツであることが物語っています。
サッカーというスポーツの可能性が無限大であることから、僕はサッカーが好きです。
まとめ
僕がサッカーが好きな理由を紐解いていくと、
・自分が生きていることが実感できる
・言葉では言い表せないほどの快感を味わえる
・他人の人生を動かす可能性を持っている
・人生がより豊かになる
これらが、僕がサッカーが好きでプレーする理由のようです。
この気持ちをベースに、サッカーをより好きになれる環境で今年もプレーできたら最高です。
最高の環境を手に入れるために妥協せず、楽しみながら全力を尽くしていきます。
よろしくお願い致します。
大津一貴