小さすぎるゴールキーパー【冨澤拓海】「サッカー人」として生きる道

身長 168cm。

このプロフィールを見て、彼のポジションがゴールキーパーであることを予想できるだろうか。

サッカーというスポーツの中でも、一番特殊なポジションであるGK。このポジションで求められる大きな要素の1つは、間違いなく『高さ』である。

ましてや海外となると、日本人より平均身長が高いことは容易に予想が付く。しかも、彼が今年プレーしている舞台はヨーロッパ。

168cm はフィールドプレーヤーでも低い部類だ。

冨澤拓海。

2020年現在23歳のGKは、どのようにして海外でのキャリアを積み重ねてきたのだろか。

今回は、彼が【サッカーと共に生きる】を、どのように体現しているのか。

この部分にスポットライトを当てて、インタビューをしてみた。

 

18歳で描いた理想

高校卒業を迎える18歳。

部活でプレーしてきた高校生プレーヤー達は、進路の悩みと共に「高校卒業後はサッカーをどうしよう。どこでプレーしよう…。」と、サッカーについて真剣に向き合う時間が必ず訪れる。

 

中学卒業時に”強豪校”と呼ばれる高校へ進学する多くの選手は「進学先の高校で活躍してJリーガーになりたい」と、夢を見る。

しかし、現実は甘くない。

それを実現できる選手はほんの一握りで、大半の選手は高校卒業後にサッカーとの関わり方について、考える必要がある。

とある選手は大学サッカーの道へ進み、そこからもう一度プロを目指す。

競技サッカーとしての活動を引退し、大学のサークルや余暇活動としてサッカーと関わる選手も多数存在する。

また、完全にサッカーから距離を置く選手もいる。

 

冨澤は高校在籍中の時点で既に「海外でプロサッカー選手になる」と、自分の心に決めていた。

高校生3年生の頃から「部活とは別で大人のサッカーに慣れたい」という思いから、当時東京都2部リーグのT.F.S.Cというチームに練習参加をしていた。

そこで筆者と冨澤は出会う。

その行動が代表するように、18歳の頃から自分の夢を軸に物事を決断し、行動に移してきた。

高校卒業時、春休み期間を利用してニュージーランドへ1ヶ月の短期留学。

大学に進学したが、サッカー部には入らず社会人チームへ入団。(大成シティフットボールクラブ坂戸・当時関東2部所属)

「大人のサッカーにより早く慣れること。自分が試合に出れる確率が高い環境。それらを考慮すると、大学ではなく、社会人でサッカーをすることが当時の自分にとっては一番良い選択だと思った。」

その言動も全ては、海外でプロサッカー選手になるためだった。

大学に通いながら、社会人の関東リーグでプレーする生活を1年送り、海外挑戦の準備を整えた。

 

ニュージーランドでの挫折

2016年3月、1年前に短期留学をしたニュージーランドへ向かった冨澤。

大学に籍を置きながらも(休学)、自分の夢に挑戦した。

ニュージーランド国内で一番レベルが高いと称される地域のオークランド。その地域の1部リーグ・Onehunga Sports(オネハンガ・スポーツ)との契約を果たす。

しかし、冨澤本人にとっては納得ができる結果を残すことができず、とても苦しい時間となった。

かつてイギリスの植民地だった影響もあり、ニュージーランドのサッカーはイングランドに大きく影響を受けている。ロングボールが多用され、激しいコンタクトプレーが特徴的なサッカーだ。

そんな環境下でGKというポジションの選手に求められるのは、純粋な『高さ』である。

イングランド式のフットボールでは、多くの場面でゴール前にハイボールが飛んでくる。この場面でDF側は、唯一手が使えるGKがそのハイボールを対処する役割を担う。

=身長が低いことが、最大の弱点となってしまう。

身長が低いのであれば、それを補うだけの強烈な武器を持っていないと試合には出場できないが、それだけでも試合には出れない。

 

「ただ決して、できない感覚では無かった。」

と語る冨澤。

 

しかし、現実はトップチームのスタメンを獲得するまでに至らない。

シーズン途中に同リーグのThree Kings United(スリーキングスユナイテッド)に移籍するも、トップチームでの出場機会を掴むまでに至らない。

結局、そのままシーズンを終えて、サマーリーグ(国内トップリーグ)への移籍も叶わないまま、ニュージーランドでの挑戦は終わりを告げた。

 

夢描いた海外サッカー生活とはかけ離れた現実に、

「悔しいが実力不足。また、自分の実力を客観的に判断できていない部分もあった。」

と当時を振り返る。

ニュージーランドでの海外1年目は、現実をまざまざと突きつけられる時間となった。

 

本物のプロサッカー選手を目指して

冨澤本人が理想としていたのは、海外クラブとのプロ契約を果たしてプレーすること。

しかし、ニュージーランドではセミプロ待遇。

「当時は、胸を張って俺はプロサッカー選手だ!と言えない自分が悔しかった。」

 

ただ、冨澤は計画的に海外初挑戦の場所をニュージーランドとしていた。

「GKというポジションなので、必ず喋ることが必要となる。プレー中はもちろんのこと、普段の生活も含めて。その上で海外でプレーするために、まずは英語が必須だと思った。なので、海外挑戦1年目は英語圏の国に挑戦しようと考えていた。」

この判断が、後の活躍に大きく繋がる。

 

ニュージーランドでの挑戦を終えた後、プロ契約を目指す旅に出た。

初めはヨーロッパに渡り、ポルトガル、リトアニア、ラトビアのチームにトライアルを受けた。

しかし、プロ契約を結ぶまでには至らず。

という状況の中、知り合いの選手から「モンゴルに来ないか?」という連絡を受けた。

モンゴルであれば、外国人ゴールキーパーにもチャンスがあるとの情報を受けた。

 

プロサッカー選手になりたい一心で、冨澤は東アジアのモンゴルへ向かう。

3月でも気温はマイナスの極寒、標高は富士山5合目と同等、というモンゴルの首都・ウランバートル。

この厳しい環境の中でトライアルに挑み、念願のプロ契約を果たす。

2017年、モンゴル1部リーグのGoyo FCへの入団が決定。

海外挑戦2年目で、念願のプロサッカー選手となった。

 

モンゴルでのプロサッカー生活

開幕から2試合は出番が無くベンチスタートだったが、3試合目で出場機会を掴むと、マン・オブザ・マッチに選出される。

その後、スタメンの座を奪うと、シーズン全ての試合に出場。

チームはモンゴル1部リーグに昇格1年目ながら、冨澤の活躍もあり残留を果たす。

そして、翌年の契約延長オファーも受けた。

再度ヨーロッパへの挑戦も検討したが、もう1年モンゴルでプレーすることを選択する。

「モンゴルでの2年目は、自分がプレーしやすかった。それは、周りの選手との信頼関係や積み重ねが、自信となっていたから。チームメートは自分の指示もしっかり聞いてくれる。プロサッカー選手としてプレーしていることが実感できて、最高で刺激的な楽しい時間だった。」

 

冨澤の充実感と比例するように、Anduud City FC(2018年、Goyo FCから改名された。)は快進撃を続ける。

冨澤を中心とした粘り強い守備が特徴のチームは、上位常連のチームからも次々と勝ち点を奪っていく。

2017年に下部リーグから昇格してきたチームは、最終的にトップリーグで3位となった。

充実の時間を過ごしたモンゴルでのプロサッカー生活だったが、冨澤は既に次のステージを見据えていた。

 

自分の強みを活かして

Anduud City FCとは3年契約を結んでいたので、まだ翌年もモンゴルでプレーする権利を得ていた。

しかし、「本場のサッカーを自分の肌で味わいたい」という自分の気持ちに、嘘を付くことはできなかった。

また、モンゴル生活での充実感と引き換えに「モンゴルでは自分の中で”やりきった”感覚があった。その点も含めて、新たな挑戦がしたいと思った。」と、冨澤は当時の気持ちを回想する。

 

このタイミングで再度、ヨーロッパへの挑戦を決めた

しかし、モンゴルでのシーズン終了後、すぐに現地へ飛び込んだわけではない。

「極論を言えば今はプロサッカー選手ではなくずっとサッカー選手がしたい。プロサッカー選手だけじゃなく、サッカー選手を軸に飯を食いたい。」

との思いから、冨澤は更に行動へ移す。

まず、前もって準備をしていたビジネスの展開だ。

『SJS Goalkeeping』というGKグローブを中心としたアパレルブランドの輸入販売事業。

高品質・低価格をモットーに日本中のゴールキーパー「全ての世代が最高レベルのGKグローブを」というコンセプトの元、商品を販売している。

マレーシアでプロ選手として活躍するSamuel Jacob Somerville氏と、日本支部代表として冨澤が共同で日本人に合うグローブを開発している。

また、日本滞在時を中心に『PANGEA FOOTBALL ACADEMY (以下:PFA)』という、神奈川・東京で開校したFP&GKサッカースクールのコーチ事業も行っている。

ボーダレスになっていく世界の中で日本人が勝ち上がって行く為に、「自考力×フットボールフィジカル」という独自の育成方針に基づいて、将来の日本サッカー界を引っ張る選手を育成・輩出を目指しているPFA。

サッカーと共に世界を渡り歩く冨澤は、PFAにぴったりの人材だ。

自ら子供達に直接指導するだけではなく、ヨーロッパのトップチームからGKコーチを日本へ呼び、日本の子供達にサッカーの本場の指導を受ける機会を提供している。

2019年3月にクロアチアの超名門、ディナモ・ザクレブのGK育成統括及びGKスカウトを務めるGoran Boromisa氏と独占契約を締結したPFA。

その契約を実現させたのも、冨澤の人脈と行動力によるものだ。

「海外1年目のニュージーランド時代、チームのGKコーチが複数人いる環境だった。その中で、様々な国籍のコーチに指導してもらう中、まだまだ日本のGKレベルは世界のトップに追いついていないと感じた。だからこそ、自分が橋渡し役となって、日本のGK育成にも力を注ぎたいと思った。また、代理店や代理人などは一切通さず完全に友達や自分自身でクラブにコンタクトを取っている。海外ビジネスで子供達がフィーを払いすぎている場合や、本当に育成の世界のトップレベルが来ている訳ではないから。」

と語る。

海外ビッグクラブのスタッフ陣と、英語でコミュニケーションを取り、ビジネスの現場で生かしている冨澤。

彼が1年目に英語圏のニュージーランドを選択したことが、ピッチ外での活動でも大きな武器となっている。

 

夢舞台のヨーロッパへ

ビジネス展開とは別に、モンゴルでのシーズン最後に怪我を負っていたこともあり、初めからヨーロッパの移籍市場が一番活発になる夏に向けて、時間をかけて準備を重ねてきた。

2019年5月、ヨーロッパに降り立った冨澤が向かったのはルクセンブルク。

ベルギー、フランス、ドイツというサッカー大国に囲まれた立地に位置する国だ。

日本ではあまり知られていないが、ルクセンブルクにもサッカーリーグが存在している。

この国でトライアルに挑戦し、とあるチームと契約内容をまとめ、写真撮影も済ましたところで急遽契約は破談。

日本では考えられないが、海外ではこのようなことが頻繁に起きる。

そして、ヨーロッパの壁はやはり厚いと感じざるを得ない。

 

しかし、過去に何度失敗をしても立ち上がってきた冨澤は、これっきしのことでは簡単に諦めるはずが無い。

国を変えて、新たな挑戦へ挑む。

向かった先は、ジブラルタル。

ジブラルタルとは、スペインのイベリア半島南東端に突き出した小半島を占める、イギリスの海外領土。

独自のサッカー協会を持っており、優勝チームはCL予備予選、3位までがEL予備予選に出場できる。

正真正銘のヨーロッパだ。

まずは、ジブラルタルのサッカー協会に片っ端から電話をかけた。

トライアルに行けるチームを探すためには、手段を選ばない。

もちろん、このやり取りも全て英語。

冨澤の言語力がこの場面でも活かされる。

 

そして、とあるチームが興味を示す。

そのチームのアカデミーに日本人とハーフの選手が居たことから、

「日本人の人間性が好きだから」

と、GKコーチが声を掛けてくれた。

 

チーム名はManchester 62 FC(マンチェスター62FC)。

トライアルを経て、ついに念願のヨーロッパでの契約。

多くの失敗体験と、ほんの少しの成功体験を武器に、冨澤はようやくヨーロッパの舞台にたどり着いた。

 

ヨーロッパのサッカーのリアル

チームに加入した後、順調に試合に出場できたかと言うと、そうではない。

まず、契約から約4ヶ月間は、まともにトレーニングさえさせてもらえなかった。

チーム内での序列は第3GKとなり、第1GKと第2GKのフォローだけで練習が終わる日もあった。

リザーブリーグでは、若手育成をチーム方針とするマンチェスター62 FC。

トップで試合に出場できない冨澤が立つリザーブリーグのフィールドには、16歳の選手達が中心となってプレーしていた。

 

しかし、チームの成績不振と共に、監督が解任。

そのことが転機となり、冨澤にとってはチャンスが訪れる。

新監督はGKからビルドアップを求めるスタイルを好み、必然と冨澤にも視線が注がれる。

その期待にしっかり応える形で、冨澤は第3GKから一気にスタメンを奪取した。

夢のヨーロッパの舞台でプレーできる喜びを噛み締めながら。

 

なぜ小さいのにGK?

残念ながら、新型コロナウイルスの影響でシーズンが中断となり、リーグ再開の目処が立たないので、現在は日本に帰国している冨澤。

 

そんな彼に、少し意地悪な質問をしてみた。

「なんで小さいのにGKなの?」

 

彼はこう答えてくれた。

「小学生の頃から足が遅かったし、キックも飛ばないし、周りのチームメートと比べても全然ダメだった。だけど、GKをやったら誰よりもシュートを止めれた。それが本当に楽しかった。FWの選手がゴールを決めるのが楽しいからFWをやっているのと一緒で、シュートを止める瞬間が楽しいからGKをやっている。それは、身長が低いとか関係ない。小さいからGKでプロを目指しちゃいけないって、誰も決めてないですよね。だから、僕はそれを体現してきたんです。」

冨澤拓海。

彼の突き進む道には、必ず高い壁がそびえ立つ。

しかし、その度に自分の強みを活かして乗り越えてきた。

この発言を聞いて、きっとこれからも更に高い壁を、あらゆる手段で乗り越えていくのだろうと感じさせられた。

小さすぎるゴールキーパーの、挑戦のスケールは大きすぎる。

 

編集後記

※写真:冨澤拓海選手と筆者(大津一貴)

私が東京都リーグのT.F.S.Cに所属していた際、当時高校生だった冨澤選手が練習参加をしたことがきっかけで出会う。その後、2016年はニュージーランドのThree Kings Unitedにて共にプレー。しかし、冨澤選手のトップチーム出場が叶わず、同じピッチでプレーすることが叶わなかった。

しかし、2018年に私がモンゴルリーグのFC Ulaanbaatarへ移籍したことがきっかけで、同リーグのAnduud City FCに所属した冨澤選手と直接対戦することに。

二人で同じピッチに立ち、異国の地で真剣勝負をできたことが、私はとても感慨深かった。

お互い「サッカー人」として生きていれば、きっとどこかの国でまた再会を果たし、一緒にボールを蹴る日が訪れるだろう。そんな日が迎えられるように、私も冨澤選手のように「サッカー人」として生きていこうと思う次第だ。

 

■冨澤拓海プロフィール

・生年月日:1996年11月25日
・出身:千葉県
・現所属:(ジブラルタル1部リーグ)
・ポジション:GK
・所属チーム
小、中学:WingsSS千葉
高校:法政大学第二高校サッカー部
2015年:大成シティFC坂戸
2016年:Onehunga Sports → Three Kings United(ニュージーランド)
2017年:Goyo FC(モンゴル)
2018年:Anduud City FC(モンゴル)
2019~2020年:Manchester62FC(ジブラルタル)

 

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