【Jリ-グ発~モンゴル経由~欧州行き】吉川翔梧が描く欧州頂点への道

【Jリ-グ発~モンゴル経由~欧州行き】吉川翔梧が描く欧州頂点への道

【Jリーグ通算3試合途中出場】

 

この数字は【吉川翔梧】選手が、ツエーゲン金沢在籍時に残した結果である。

千葉県鎌ヶ谷市出身の吉川選手は、北海道の帯広北高校を経て2014年にツエーゲン金沢へ入団。子供の頃から憧れてきたJリーガーとなる夢を叶えた。

しかし、ツエーゲン金沢在籍2年間での結果は前述の通り、厳しい現実が待ち構えていた。

 

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2020年現在、吉川選手はバルト三国のリトアニアリーグに籍を置く。

果たして、なぜ彼は現在ヨーロッパのリトアニアにいるのか。また、Jリーグで思うように結果を残せなかった悔しさを、どのようにモチベーションを変換して今日までのサッカー人生を辿ってきたのか。

今回は、吉川選手のサッカー人生を振り返る。

 

 

目次

15歳での大きな決断

 

吉川選手の地元、千葉県鎌ヶ谷市を拠点にする街クラブ、「ミナトサッカークラブ」の幼児スクールでサッカーキャリアをスタート。そのまま、小中学生時代も同クラブで過ごす。

小学生時代から、「プロサッカー選手になりたい」という思いを胸に、サッカーと向き合ってきた。自分がチームの中心選手であり、当時のミナトサッカークラブを牽引する存在だった。

 

しかし、ジュニアユース(中学生)に上がると、チームメートたちが成長期を向かえて身長がぐんぐんと伸びていく中、当時の吉川選手はなかなか身長が伸びなかった。その事実と比例して、レギュラーとして出場する機会が減り、最終的に中学3年時は完全なサブ選手だった。

後輩である2年生の選手がスタメンとして試合に出場するなか、吉川選手はその戦況をベンチから見つめるしかなかった。

 

結局、3年間レギュラーになることができず、中学卒業を迎える。

それでも、小さい頃に憧れた「プロサッカー選手」になることを諦めきれず、当時15歳だった吉川選手は大きな決断を下す。

 

指導者同士の繋がりから、北海道の強豪校【帯広北高校】へ進学することができた。吉川選手自身、「環境を変えてチャレンジしたい!」という思いが強く、北の大地へ行くことを決断した。

 

「このまま地元にいて、地元の高校に進学してサッカーをしても、自分自身の成長が少ないと思いました。とにかく、”成長したい”という気持ちが強く、大きく環境を変えたかったです。その選択肢が帯広に行くことでした。プロサッカー選手になりたい夢を叶えるためでもあるし、先にも言った通り、一番はとにかく成長したい気持ちが強かったです。この選択が一番自分の成長に繋がると思い、親元を離れる決断を下しました。」

 

 

自らの思いを告げてJへの道を切り開く

 

帯広北高校入学後、初めはCチームからのスタートだったが、中学時代の悔しさをバネにトレーニングへ取り組む日々。ひたむきに努力を重ね続けると同時に身長も伸びてきた。その結果、2年生の途中からAチームへ上がることができ、徐々にトップチームの試合にも絡むようになる。

そして、2年生で迎えた高校サッカー選手権では、スタメンとして北海道予選を戦うまでに成長を果たす。最高学年となった3年目は、完全にチームの中心選手として活躍していた吉川選手。最後の選手権北海道予選を控えたタイミングで、監督に直接思いの丈をぶつけた。

 

「子供の頃からずっとプロサッカー選手になりたくてサッカーをしてきました。どこか、自分に練習参加できるチームは無いですか。」

 

自分の思いを監督に告げたことで、結果的に吉川選手の運命は大きく変わることとなる。

 

 

ツエーゲン金沢への練習参加から入団へ

 

吉川選手のために監督はすぐに連絡を入れた。連絡先は、帯広北高校のOBである清原翔平選手(2020年現在:相模原SC所属)。当時、清原選手が在籍していたツエーゲン金沢に、吉川選手が練習参加できるよう準備を進めてくれた。

翌年の2014年シーズンにJ3昇格を決めるツエーゲン金沢の練習に参加した吉川選手。このチャンスをものにすべく全力を尽くした結果、朗報が届く。

最後の選手権予選が始まる前、2014年シーズンからツエーゲン金沢への入団が発表された。

 

「ツエーゲン金沢に入団できたことや、その前に帯広北高校に進学できたこと。自分1人の力で勝ち取ったものではなく、周囲の方々の”縁”によって勝ち取れたものだと思っています。ある意味、本当に運が良かったです。なので、今でも自分に関わった全ての方々に感謝しています。」

 

※写真:ツエーゲン金沢オフィシャルHP

 

 

プロの壁

 

J3設立の初年度である2014年、ツエーゲン金沢に加入した吉川選手。開幕から数試合にはベンチ入りメンバーに入り、僅かな時間ながら途中出場を果たす。しかし、与えられた時間で結果を残すことができず、その後は試合に出場することができなかった。

 

「初めて試合に出たとき、やっとプロサッカー選手になれたという喜びもありましたが、スタジアムの雰囲気や”プロサッカー選手”という責任に圧倒されてしまいました。気持ちに全く余裕が無く、自分の目の前で何が起きているのか分からないまま試合が終わってしまった感覚です。緊張していたし、不安もあったし、自分自身へのかすかな希望もあったし…。いま思い返すと、自分の中でやるべきことが全く整理されていない状況でした。当時は、様々なことに対して”考える力”が足りなかったんだと思います。」

 

結局、ツエーゲン金沢には2年間所属したが、試合に出場できたのは3試合に途中出場したのみ。ツエーゲン金沢は2015年にJ2へ昇格したが、吉川選手自身はJ2での出場ができないまま、チームを去ることとなった。

 

 

ヴァンラーレ八戸へ移籍

 

ツエーゲン金沢に在籍した2年間で思うような結果を出せなかった吉川選手。チーム側との話し合いから、当時JFLだった【ヴァンラーレ八戸】へレンタル移籍することとなった。

試合に出場していなかったとは言え、J2だったチームに所属していた経歴がある。移籍先がJFLというカテゴリーで、プレーする環境を落とすことに、当初は正直抵抗があったという。

しかし、その考え方を真っ向から否定される結果を、ヴァンラーレ八戸1年目に突きつけられる。

 

「ヴァンラーレ八戸に移籍しましたが、結局ここでも試合に出られない自分がいました。個人成績は9試合に出場したのみです。この時に初めて、”チームで戦うこと”がサッカーでは大切だと気付きました。そのために、”考える力”が必要だと。それまでの自分は、本能だけでサッカーをプレーしてきたんですが、それが限界を迎えていたことに、この年に初めて気付きました。」

 

※写真:本人提供

 

ヴァンラーレ八戸へレンタル移籍した1年目も思うように結果を残せず、試合に出場できない時間を多く過ごした。だからこそ、今の自分のままでは生き残れないことに気付き、サッカーに対する取り組み方を変えた。

チームプレーの重要性をようやく理解し始めたので、積極的にチームメートとコミュニケーションを図った。プレー中も試合に勝つために必要なことが何なのかを、常に考えるようにした。サッカーに対する「意識」を変えた。

急激には変わらなかったが、徐々にその成果は形となって現れる。

 

 

翌年の2017年シーズン、ヴァンラーレ八戸へ完全移籍となり、吉川選手にとってはある意味「再出発」となったシーズン。

吉川選手はチームのスタメンとなり、プロサッカー選手となって初めてチームの中心選手としてプレーすることができた。前年から自身が心がけてきた「考えてサッカーをすること」が、形となって現れた。

 

「はじめてシーズンを通じて試合に絡めるようになりました。シーズン当初は途中出場も多かったですが、後期はほとんどの試合でスタメンで出場することができました。ポジションはウイングバックだったりと、自分が元々得意としていたポジションではありませんでしたが、ポジションなどには関係なく試合に出場できるようにアプローチしてきました。年間通じて試合に絡むことができて、前年から自分が意識してきたことが結果となって現れたことが嬉しかったです。」

 

※写真:本人提供

 

 

契約満了をチャンスに変える

 

スタメンとして活躍した翌年の2018年シーズン。チームは監督が変わり、それと同時に吉川選手はまたもスタメンから外れてしまう。試行錯誤しながら練習に取り組んだが、結局試合に絡めない時間がまたも増えてしまった。吉川選手の状況とは反比例し、ヴァンラーレ八戸はJ3へ昇格を決める。

そして、翌年は契約更新が行われないことを通達された。

 

「チームから契約を更新されないことを通達された時、自分と向き合う時間ができました。元々自分はどうなりたかったのかと、自問自答したときに、小さい頃に描いていたのは海外で活躍する自分の姿でした。いままでは、チームとの契約がある状況で、ある意味甘えた環境でプレーしていました。しかし、チームと契約を切られたことで自分の意志次第で自由に選択できるようになった今こそ、逆にチャンスだと思いました。そこで、インターネットなどを利用して様々な情報を調べていた時に見つけたのが、偶然にもモンゴルのサッカー情報でした。」

 

 

吉川選手自身が中学生のときに大きく環境変えたことがきっかけで飛躍できたように、このタイミングでも大きく環境を変える必要があると考えた。その選択肢が今回は海外。しかも、Jリーガーにはあまり馴染みの無い国である【モンゴル】だった。

日本国内でのセレクション、モンゴル現地でのトライアウトに参加した吉川選手。2019年シーズン、モンゴル1部の強豪クラブである【エルチムFC】へ移籍を果たすこととなった。

 

「モンゴルのサッカーを実際に見ていたわけではなかったですが、日本のJリーグよりはレベルが落ちることは予想していました。しかし、中学生のときに環境を変えて大きく成長できたように、このタイミングでモンゴルに行くことで自分自身大きく成長できると思いました。決して良い環境とは言い難い部分もありますが、逆に海外1年目は劣悪な環境に身を置くほうが大きく成長できると思ったので、モンゴルに行くこと自体には抵抗がありませんでした。」

 

※写真:本人提供(下段右から2番目、背番号5が吉川選手)

 

 

モンゴルで自覚した「結果」へのこだわり

 

モンゴルのエルチムFCに加入し、日本と海外で一番大きく感じた違いは「自分が外国人選手」であることだったという。

 

「日本でプレーしていたときとは違うプレッシャーを感じました。それは、自分が外国人選手であるからこそ、より結果にシビアな環境だったからだと思います。チームの結果、個人の結果。両方の結果を常に求められている環境のなか、活躍することは決して簡単なことではありませんでした。特にシーズン初めは、自分ではもっとできると思っていましたが、思うように結果を残すことができず、ゴールも1点しか取れなかったです。日本でプレーしていたときの自分は、ゴールに対する意識が薄かったことに、気付かされました。」

 

いくらFIFAランクが低い国だとしても、海外で助っ人外国人としてプレーすることは決して簡単なことではない。その事実にいち早く気付いた吉川選手は、より「結果」に特化するよう意識を変えてサッカーに取り組んだ。

その結果は、シーズン後半に形となって現れる。

 

「シーズンを通じて9ゴールを取ることができました。前期は1ゴールだけだったのに(笑)。それは、前期の途中から取り組みやゴールへの意識を変えた部分が結果になって現れたんだと思います。そして、リーグ戦は残念ながら2位でしたが、カップ戦では優勝することができました。特に決勝戦では、怪我を抱えながらも後半から途中出場し、2-1とビハインドの状況から自分の2ゴールで逆転することができました。自分が意識して変えてきた”ゴールに対するこだわり”を、実際に体現してチームを優勝に導けたことは物凄く嬉しかったです。」

 

吉川選手自身、サッカー人生初のタイトルをモンゴルの地で手に入れた。シーズンを通じて試合に出場し、自身のゴールでチームにタイトルをもたらし、海外初挑戦は充実のシーズンを過ごすことができた。

 

※写真:本人提供(上段向かって左、吉川選手)

 

欧州への挑戦

 

モンゴルでのシーズン終了後、吉川選手は新たな国への挑戦を決めた。知人との繋がりから、ヨーロッパのリトアニアにパイプを持つエージェントを紹介してもらい、そのエージェントの紹介からリトアニア1部の【FKバンガ】への練習に参加した。

そこでのプレーが評価され、2020年シーズンは同チームへ移籍を果たす。

 

「コロナウイルスが流行する前にリーグが開幕し、1試合のみ試合に出場しました。やはりヨーロッパの小国とは言え、モンゴルのサッカーと比べた時に全体的なレベルは上がります。リトアニアのトップ2チームは、Jリーグのチームと比べても遜色無いぐらいの感覚です。」

 

※写真:FKバンガ オフィシャルフェイスブック

 

 

新天地での活躍が期待されるなか、残念ながらコロナウイルスの影響によりリーグは一時中断するも、2020年6月現在はリーグが再開しているリトアニアリーグ。

プレーの場をヨーロッパに移した吉川選手には、明確な今後の目標がある。

 

「今自分がいるチームはリトアニア国内でも中堅と言ったところ。まずは、このリーグで活躍し、国内のトップに行きたい。それが実現できれば、ヨーロッパでの国際舞台(※)が待っています。また、近隣のポーランドなどにステップアップできるチャンスも、この国には転がっています。このチャンスを掴むべく、今は必死に目の前のことに全力を尽くしている最中です。そして、最終的にはドイツのブンデスリーガーなど、ヨーロッパでもトップに位置するリーグに挑戦したいです。それが、自分が小さい頃から描いていた夢だったので、なんとしてでも実現させたいです。」

※リトアニアリーグの上位チームには、チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグの予選に出場できる権利が与えられる

 

※写真:FKバンガ オフィシャルフェイスブック

 

 

思考力を武器に挑戦し続ける

 

自分の置かれている状況を客観的に理解し、その都度変化を重ね、試行錯誤しながらも成長し続けてきた吉川選手。

子供の頃から積み重ねてきた技術にプラスして、プロになってから身につけた「思考力」を武器に、今はヨーロッパへの挑戦をしている最中だ。

「野生的な感覚」「思考力」を武器にプレーする吉川選手は、今ならJリーグに戻ってきも、活躍することができるのではないかと思わされてしまう。

しかし、彼の目指している場所はヨーロッパのトップ。すなわち、世界のトップである。

吉川翔梧選手の今後の活躍から目が離せない。

 

※吉川選手と筆者(大津)がモンゴルリーグで対戦する様子。この試合は、吉川選手の泥臭い決勝ゴールにより、エルチムFCが勝利。吉川選手の成長が見て取れる場面だった。

About The Author

大津 一貴
夢を諦めて一般企業へ就職するも、22歳でがんを患い生き方を改める 。その後、脱サラして海外でプロサッカー選手に。モンゴル1部・FCウランバートル所属。1989年10月25日生まれ、北海道出身。

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