三度訪れたスフバートル広場で想うこと

三度訪れたスフバートル広場で想うこと

またここに戻ってきた。

モンゴルの首都、ウランバートルの中心部に位置するスフバートル広場。

ウランバートルを代表する観光地であり、市民の憩いの場でもある巨大な広場。

広場の北側には、台座に座る巨大なチンギスハーン像。

広場の中心には、名前の由来にもなっているモンゴル革命の指導者の一人、スフバートルの騎馬像が堂々と聳え(そびえ)立つ。

1923年に30歳の若さで無くなったモンゴル国の英雄は、以下の言葉を残した。

「我が人民がひとつの方向に、ひとつの意志に団結するならば、我々が獲得できないものはこの世にひとつとしてない。我々が知りえないものもない。できないことも何ひとつとしてない。」

この言葉が、スフバートルの騎馬像に記されている。

 


2015年、僕はサラリーマンを辞めてモンゴルに降り立った。

サラリーマンという安定を捨て、初の海外暮らし、そしてモンゴルでサッカーをする道を25歳で選択した。

不安と期待が入り混じる中、”海外でプロサッカー選手になる!”という夢にすがり、僕はこの地にやってきた。

 

しかし、シーズン前の遠征でプロサッカー選手として生き残る厳しさを知る。

シーズン中、海外でプレーすることの難しさを痛烈に痛感する。

普段の生活でも、日本とはまるで違う文化にストレスを感じたことも多々ある。

そして何よりも、優勝を目標にスタートしたシーズン、結果はリーグ戦もカップ戦も2位。

開幕戦で初ゴールを決めて勝利に貢献した良い思い出もある一方、沢山の辛い経験や悔しい想いもした。

 

そんな時々、当時の家から近かったスフバートル広場に、僕は何度も訪れた。

当時の待遇は、お世辞にも良いとは言えない内容。

カフェに行くお金も無いので、気分転換や一人になりたい時、僕は足繁く広場に足を運んだ。

特に上手くいかなくて精神的に辛い時や、結果が出せなかった時は、よく足を運んだ。

だだっ広い広場を眺めながら、心をリセットして、また次の日に向けて頑張ることを自分自身に誓う作業をする。

そんな毎日を送っていた、海外1年目の2015年シーズン。

 

シーズン最後の試合、カップ戦の決勝に負けた翌日。

「もっと成長して、もう一度ここに戻ってこよう。」

スフバートル広場で、僕は自分の心にそう誓った。

目の前で二度もあった優勝するチャンス。

それを掴めなかった自分が歯がゆかった。

この地で優勝を掴み取るまでは、サッカー選手を辞められないと思った。

 


その後、僕はニュージーランドやタイでプレーした。

もちろん、その時々を全力で闘った。

ニュージーランドはセミプロだったので、サッカー以外でも働かなければならなかったし、タイでは暑い中ひたすら毎日2部練習をする日々。

それでも、心の片隅には常にモンゴルでの悔しさがあり、どんなに苦しい状況でも、そのリベンジを果たす時まで頑張ろうと思い続けていた。

 

そして昨年の2018年シーズン、色々なタイミングが重なり、僕はまたモンゴルに戻ってきた。

意外と早く巡ってきたリベンジのチャンス。

モンゴルに降り立った翌日、もう一度戻ってくることを誓ったスフバートル広場へ久々に訪れた。

2015年から何ひとつ変わらない風景が、そこには広がっていた。

「今回こそ、優勝トロフィーを掲げる。」

2015年とは違い、様々な経験を重ねて成長した自分に対して自信があった。

 

シーズンが始まり、チームは常に優勝を争った。

自分自身も常にスタメンでプレーし、パフォーマンスもそこそこ安定していたと思う。

それでも、シーズン中に自分の心がぶれそうな時、僕は広場を訪れた。

2015年の悔しさが蘇ってきて、「まだまだやるぞ!」という気持ちになる。

そして、自分が優勝トロフィーを掲げる姿を何度も想像した。

自分が、なんとしても掴み取りたいものを再確認させる場所。

それが、2018シーズンの僕にとってのスフバートル広場。

 

 

しかし、結果はまたしても2位。

2015年と同じ色のメダルを首に掛けられた瞬間の気持ち悪さは、死ぬまで忘れない。

結局、リベンジを果たせなかったのが、昨年の自分。

まだ、実力が足りなかった。

 


2019年、チームは僕をまた必要としてくれた。

本当にありがたいこと。

大好きなサッカーを、大好きなチームでプレーできること。

これ以上の幸せは無い。

他の国へ移籍することも模索したが、決まらなかった。

きっと、モンゴルに戻ってくることは、フットボールの神様が元々決めていたことなのだろう。

また、2015年、2018年の自分が評価されている証でもあると思う。

だからこそ、今年は絶対に優勝トロフィーを掲げる必要がある。

もしかしたら、ラストチャンスかもしれない。

「絶対優勝する」

 

そんな想いを胸に、モンゴル3年目のスフバートル広場を訪れた。

透き通った青空の下、相変わらず巨大なスフバートル像やチンギスハーン像…。

みんなが僕の戻りを歓迎してくれているように感じた。

 

きっと、人間に不可能なことなど存在しない。

今年こそ、優勝できる。

僕は、そう信じている。

 

 

そして、僕の戻りを歓迎してくれたのは、スフバートル広場だけではない。

モンゴルに初めて降り立った時からの仲間たち。

みんな笑顔で出迎えてくれた。

空港には、4年前からのチームメートが迎えに来てくれた。

新しい住まい探しを手伝ってくれる人もいる。

チーム練習に合流した初日は、みんなが”おかえり”と言ってくれた。

 

「我が人民がひとつの方向に、ひとつの意志に団結するならば、我々が獲得できないものはこの世にひとつとしてない。我々が知りえないものもない。できないことも何ひとつとしてない。」

 

スフバートルさんが言う通り、頼もしい仲間と協力して全力を尽くせば、今年こそ優勝できるんじゃないかな。

そんなことを感じた、3年目のスフバートル広場。

 

今シーズンも、FCウランバートルのKAZUTAKA OTSUとして、僕はモンゴルでプレーします。

大津一貴

About The Author

大津 一貴
夢を諦めて一般企業へ就職するも、22歳でがんを患い生き方を改める 。その後、脱サラして海外でプロサッカー選手に。モンゴル1部・FCウランバートル所属。1989年10月25日生まれ、北海道出身。

カテゴリー

アーカイブ