コロナウイルスにサッカーを奪われたままでいいのか?

コロナウイルスにサッカーを奪われたままでいいのか?

世界中で猛威を振るい続ける新型コロナウイルス。

プロサッカー選手として、モンゴルのチームと契約している自分は、このウイルスにより多大なる影響を受けている。

モンゴル現地に渡航できない期間は、延期に次ぐ延期の連続。

今後の予定は不透明な状況。

現地でプレーできないので、本来であれば受け取るはずだった収入も現時点では手に入っていない。

そして、このような状況に陥っているのは自分だけではなく、周りのサッカー選手達全員に当てはまる。

自分のようにリーグ戦の開幕や再開の目処が立たず、渡航できない状況の選手もいれば、海外現地でプレーしていたけどリーグが中断になって帰国を余儀なくされた選手も多くいる。

逆に、海外現地にはいるけど、自宅待機でプレーできない選手も数多い。

中には、海外現地のチームへトライアルを受けに行っている最中にウイルスの影響が大きくなり、サッカーができなくなってしまっただけではなく、その国から出国できない状況に陥ってしまったサッカー仲間もいる。

世界一とも称されるFCバルセロナですら、給料がカットされるという噂だ。

これから経営難に陥って、消滅するチームも世界中で続出するのではないかと言われている。

 

サッカーだけに限らず、他の競技でも練習すらまともにできない環境に陥ってしまったアスリートは、この地球上に数え切れないほど存在する。

4年に1度開催されるオリンピックでさえも、延期が決定された。

更に言うと、スポーツの分野だけではなく、音楽や演劇をはじめとする文化・芸術の分野は、今回のコロナウイルスの影響を大きく受けている。

 

 

なぜだろうか。

大きな理由を1つ挙げると、『それが(サッカーが)無くても生きていけるから』である。

サッカーをはじめ、スポーツや芸術・文化活動は、豊かな生活の上で成り立つもの。

世界中の多くの人からしてみれば、残念ながらサッカーなんて所詮余暇活動。

物凄い極端なことを例にすると、目の前で自分の家族が殺人鬼に殺されそうな時「今からW杯の決勝だから、それを見てからあなたのことを助けに行くね」なんて言う人は存在しないだろう。

それぐらい、スポーツや芸術という分野は、生活の安定の上で成り立つものである。

頭の中では理解していたつもりだったけど、今回の騒動で自分は本当に嫌なほどこの事実を痛感している。

 

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しかし。

この事実を十分に理解した上で、話を進めさせてもらう。

まず、1人のアスリートとしての気持ちを述べたい。

 

 

自分は子供の頃からサッカーを始めた。

ベッカム、ジダン、デルピエロ、中田英寿、ロナウジーニョ、バティストゥータ、ストイコビッチ、ロナウド…

当時の自分のアイドル選手たちの名前を挙げれば切が無い。

そんなサッカー選手達見て、自分は「プロサッカー選手になりたい!」と強い憧れを抱いた。

幼い頃の自分がスーパースター達を見て覚えた、

【衝撃、インパクト、震動、感動、感銘、感激、、、】

これらの感情が、大津一貴という一人の人間の人生を大きく突き動かす。

そして、サッカーに全てを懸けて生きるようになった。

 

 

そんな生き方をしてきたせいなのか、プロにはなれなかった大学卒業時には、心の中にぽっかりと穴が空いた状態だった。

自分で自分の可能性に蓋をして、サラリーマンになる選択をしたけど、やっぱり自分の気持ちには嘘を付けず…。

25歳にして、もう一度自分の人生の全てをサッカーに懸けて、日本を飛び出した。

そして、やっとの想いでプロサッカー選手としての契約を掴み、子供の頃に憧れていた場所にようやくたどり着き、更なる目標に向かって歩んでいる最中である。

 

そんな中、現在はコロナウイルスの影響でプレーすることができない。

自分の実力には全く関係なく、サッカーができないのだ。

人生の全てを懸けてサッカーに時間を注いできたので、残念ながらこの現状でパッと次の収入源を確保できるほどの余力が自分には備わっていなかった。

要領が良く、もっと賢く生きていれば、この現状でも気楽な顔で乗り越えられるのかもしれないが、残念ながら現時点での自分はそれに当てはまらない。

そのため、今までであれば考えることが無かったであろう部分まで、必死に自分の心と相談しながら、様々なことを考えて、実行に移そうとしている最中である。

 

はっきり言って、『OTSU KAZUTAKA』という一人のサッカー選手の存在価値は、メッシやロナウドと比べると物凄くちっぽけなもんだ。

ピラミッドに例えるなら、1000段ぐらいレンガが積み上がっている頂点付近にメッシやロナウドが居るとして、自分の居場所は1~2段目、良くても3~4段目くらいか。

そんな末端のサッカー選手ですら、サッカーに人生の全てを注いでプレーしてきて、今に至る。

 

 

そして。

自分のようなサッカー選手をはじめとするアスリート、芸術家や演劇家は、世界中に五万と存在する。

人生の全てを懸けて積み上げてきたものを、自分達は新型コロナウイルスに真っ向から否定されている。

「これでもか」と言うほどに…。

【生きる手段】とするまでに極めてきたものを、

コロナウイルスからは

「君が人生を懸けて積み重ねてきたものなんて、この世に無くても生きていけるんだよ。そんなもの要らないよ。」

と一蹴されている状況だ。

ストレスが溜まらない方がおかしい。

 

 

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しかし。

ここからは、一人の人間として意見を述べる。

 

 

「自分の人生を豊かにしてきたものは何なのか?」

と問われた時、間違いなく即答する。

「サッカー」

だと。

 

子供の頃に憧れたスパースター達は、間違いなく自分の人生を豊かにしてくれた。

「中田みたいに日本人でも世界で戦えるんだ」

そう思うと、身震いがした。

「ホームスタジアムで、サポーターの大声援に包まれて、ゴールを決めればヒーロー扱いされて、チームが勝てば英雄扱いされる。そんな世界が、自分の目の前に広がる日が来るかもしれないな。」

子供の頃の自分がそう思うことができたのは、この世にサッカーというスポーツがあったから。

 

サッカーに限らず、他の種目のスポーツや芸術・文化活動は、時に他人の人生に多大なる影響を与える。

【衝撃、インパクト、震動、感動、感銘、感激、、、】

これらの感情が、一人の人間の人生を突き動かす。

 

 

それが、たとえ末端のサッカー選手だったとしても、答えは一緒である。

もしかしたら誰かの人生に、自分は多大なる影響を及ぼしているかもしれない。

 

そう考えると、

「君が人生を懸けて積み重ねてきたものなんて、この世に無くても生きていけるんだよ。そんなもの要らないよ。」

という、コロナウイルスからのメッセージは大きな間違いだ。

 

 

この危機的な状況でこそ、サッカー選手をはじめ、アスリートや芸術家が必要になる時が来るはずだ。

と、自分は信じている。

 

 

コロナウイルスになんかに負けてはならない。

この世からサッカーを奪ってはならない。

文化や芸術を奪ってはならない。

エンタメを奪ってはならない。

一人の人間の人生における可能性を簡単に奪ってはならない。

 

 

そこに携わっている人間が死ぬだけではなく、子供達の将来の希望や可能性までをも奪うことになる。

もっと大袈裟に言えば、地球の未来をも奪うことになる。

なので、自分はこの世から絶対にサッカーを無くしてはいけないと思っている。

 

絶対にもう一度、世界中にサッカーのある生活を取り戻そう。

そのために、自分は戦う準備をし続けます。

いつでも、戦闘態勢は整えておきます。

一刻も早く、コロナウイルスの影響が収まることを祈っています。

大津一貴

 

About The Author

大津 一貴
夢を諦めて一般企業へ就職するも、22歳でがんを患い生き方を改める 。その後、脱サラして海外でプロサッカー選手に。モンゴル1部・FCウランバートル所属。1989年10月25日生まれ、北海道出身。

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