サッカー選手が海外クラブチームとの契約更新に至るまで

サッカー選手が海外クラブチームとの契約更新に至るまで

こんにちは、大津です。

先日、FCウランバートルとの契約を更新しました。

2020年シーズンも、モンゴルでプレーします。

 

さて、今回は1人のサッカー選手(大津)が、チームとの契約を更新するまでの”過程”をお伝えします。

・これから海外挑戦したい選手、または現在挑戦中の選手

・海外サッカーにおける、選手の移籍事情に興味がある方

・大津一貴を応援していただける方

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目次

他国への挑戦を決意

2018・2019年シーズン、僕はモンゴル1部リーグのFCウランバートルにてプレーしていました。

2015年にもプレーしていたので、通算3年プレーしたことになります。

このチームには大変お世話になり、僕にとっては特別なチームです。

そして、とてもありがたいことに、2019年シーズン終盤に「2020年も一緒にプレーしよう」と、口頭では言われていました。

 

しかし、2019年シーズンが終わった段階で、僕は他国へ挑戦しようと心に決めていました。

・国際大会(AFCカップ)に出たい

・もっと良い待遇でプレーしたい

・環境を変えて新たな場所で挑戦してみたい

主に上記のような理由から、他国へトライアルに行こうと決意し、準備をし始めました。

また、その自分の意志はチームのマネージャーなどにも伝えていました。

それが、2019年10月頃の話しです。

 

エージェントとの相談

他国へ挑戦するにあたり、エージェントの方に色々と相談を重ねました。モンゴルにいる段階から、なにかある度に相談させて頂きました。

その結果、2019年末から移籍市場が動く東南アジアを中心としたアジア諸国への移籍を目指そうと、自分の中では方向性を定めました。

前述したとおり、僕のサッカー選手としての目標の1つである『国際大会出場』を達成することができる、または達成できる可能性が高いことを基準に、チームを探そうと決めました。

そうなると、現地でのトライアルに挑む可能生も多いに考えられたので、11月末からタイに向かい、コンディションを上げるためにトレーニングを行うことを決めました。

 

タイのバンコクへ渡航

11月末、タイのバンコクへ飛びました。

理由は…

・年末年始でも温暖で暖かい気候で、コンディションを調整するにはもってこいの環境

・日本より物価が安く、暮らしやすい

・現地でグループトレーニングが行われており、サッカーができる環境が整っている

・狙っているチーム(東南アジア諸国)へすぐに移動できる立地

というのが主な理由です。

バンコク現地には、僕と同じように移籍を目指す選手が多く滞在しており、一緒にトレーニングをしながらお互いを高め合う環境があります。

GOAL SPORTS AGENCY が主催するグループトレーニングでは、既に海外各国で活躍している選手や、これから海外での契約を目指す選手がバンコク市内で一緒にトレーニングを一緒に行っています。

日本人選手だけではなく、様々な国籍の選手も参加しており、選手にとっては恵まれた環境と言えるでしょう。

 

2020年、東南アジアの移籍市場

バンコクに直接足を運び、現地でトレーニングを行う日々でしたが、肝心な移籍の話しは上手く進みませんでした。

狙っているチームに、僕のポジションは空きが無い…

他の選手を既に取ってしまった…

などの状況もありましたが、全ては自分自身の力不足です。

 

ちなみに、東南アジア各国の移籍市場は、数年前に比べると状況が変わってきていることを実感しました。

・その国のリーグですでに活躍している外国人選手が、国内の他クラブに移籍しているので、新たに参入しようとしている外国人に中々チャンスが訪れない

・チームへ練習参加すること自体のハードルが上がってきているので、エージェント無しで現地に飛び込みでトライアルを受ける難易度が以前より上がっている

・その状況とは反比例して、日本人をはじめとする多くの選手が現地に来てトライアルを受けようとしており、選手が飽和状態になってる

と、僕は感じました。(あくまでも個人的主観)

 

そのような状況もあるのか、なかなか移籍に関して状況が進展しません。

しかし、「いつか来るかもしれないチャンスに向けて準備を重ねよう」と、日々のトレーニングに取り組んでいたのが2019年12月の話しです。

 

怪我と帰国

いつか来るかもしれないチャンスに向けてトレーニングを積み重ねる最中…

12月最後のトレーニング中に、僕は肋骨を負傷。

すぐに現地の病院に向かい、レントゲン撮って診察を受けました。

現地の病院の先生の診断だと…

・診断名は『肋骨の骨折』

・完全に折れている訳ではなく、”ヒビ”の状態だから重傷ではない

・全治約1~2ヶ月程

・肋骨の骨折は特別な処置方法が無く、まずは2~3週間安静にするのみ

との事でした。

僕は過去に3度、サッカー中に肋骨を骨折している経験があったので、診断を受ける前から上記のようなことを言われるのは予想が付いていましたが、、、

 

ということで、当初の自分のプランを見直さなければなりませんでした。

移籍に向けて、一番重要な時期にプレーができないからです。

当初は無理をしてプレーし続けることも考えましたが、100%でプレーできない、しかも接触プレーが全くできない状況では、なかなか良いプレーができないと判断。

そこで、一旦日本に帰国して、信頼できるトレーナーに直接診てもらいながら怪我を早く治すことを選択しました。

1月1日、急遽日本へ帰国。

気が付けば、タイのドンムアン空港にて1人搭乗を待つ間に年越しを迎えました。

電話でのオファー

ちょうど肋骨を骨折したタイミングで、2019年に所属していたFCウランバートルのマネージャーから電話で連絡がきました。

「いまどこで何してるんだ?来年もうちに戻って来いよ。」

ざっくり言うと、上記のような内容です。

 

モンゴルリーグは4月上旬開幕、10月下旬閉幕です。

そのため、移籍ウインドーは例年3月に設定されていたのですが…

2020年シーズンは、外国人選手のみ2020年1月15日が締め切りとなりました。

例年よりも大幅に移籍期間が早まったので、モンゴルリーグの各チームは外国人選手の獲得に向けての動きが例年よりも早く、年末年始に大きな動きを見せていました。

そこで、FCウランバートルは一番最初に僕へ連絡をくれたとのことでした。

 

正直、即決はできませんでした。

先にも記載した通り、僕は他国への挑戦を心に決めてモンゴルを飛び立ったので…

生半可な気持ちではなく、本気で他国に行くことを求めていたからこそ、目の前に契約更新のオファーがある状況でも即決ができませんでした。

 

結論を出せないまま2020年1月を迎えました。

大変ありがたいことに、年明けすぐにモンゴル国内の他のチームからも連絡を受けました。

そのような状況で、自分の心は少しずつモンゴルへ戻ることに揺れ動き始めました。

・怪我ですぐに他国へトライアルに行けない

・トライアル無しで自分が契約できる可能性があるは、現状モンゴルのチームのみ

・4月開幕なので、怪我を治す時間は十分にある

これらが主な理由で、モンゴルに戻ることを考え始めました。

また、モンゴルリーグの優勝チームにはAFCカップのプレーオフ出場権が与えられます。

モンゴルからでも、僕の選手としての目標は達成できる可能性が多いにあります。

また、それを目指して過去3シーズン僕はモンゴルでプレーしてきました。

 

決断

『再度、モンゴルからAFCカップを狙おう=(優勝)』

1月上旬に決意を固めました。

そして、僕自身がモンゴルでプレーする際、FCウランバートル以外のユニフォームを着てプレーすることが、自分の頭の中では想像ができませんでした。

他のチームには断りの連絡を入れて、FCウランバートルでプレーすることを決めました。

また、FCウランバートルが条件面でも一番良かったです。

昨シーズンは給料未払いの問題がありましたが、その件に関しても対策をして必ず遅延が無いようにすることを、一番最初に説明してきてくれました。

正直、給料面の問題が無かったとしても、何かしらの問題はあると思っています。

ただ、それはどこのチームに行っても一緒だとも思っています。

結局、どのチームに行っても求められるモノは結果なので、結果を残してからチームとの約束を守ってもらえば良いかなと考えています。

契約

今回は僕自身がモンゴル現地に居ないので、オンライン上での契約でした。

①チームからメールでPDFデータにされた契約書が送信されてくる

②そのデータを自分で印刷した後、自分のサインを入れてスキャン

③スキャンデータ(PDF)をチームに返信

④チーム側の必要なサイン&スタンプを押して契約完了

という流れでした。

外国人選手の登録は1月15日までに全ての手続き完了が必須で、ITC(国際移籍証明書)の登録も必須な状況でした。

この手続きには時間がかかるケースが多いのですが、僕は前年もモンゴルで(しかも同じチームで)プレーしていたので、特に大きな問題なく契約を更新することができました。

このような経緯を経て、FCウランバートルとの契約を更新しました。

※チームからメールで送られてきた契約書

 

ITC(国際移籍証明書):ざっくり言うと、「その国でプレーしてOKですよ」という証明の書類。日本でプレーしていた選手がモンゴルでプレーする場合、日本サッカー協会に保管されているITCを、モンゴルサッカー協会に移さなければならない。

 

まとめ

今回、他国への挑戦を決めてタイに向かいましたが、結果はモンゴルで契約を更新する形になりました。

最初に僕が描いていた理想とは、少し違うのが事実です。

しかし、過去の自分が残してきた結果が、今年もプロサッカー選手としてモンゴルの地でプレーできることに繋がりました。

 

「30歳を迎えてもチームからオファーがあって、サッカーができることだけでも、凄いことだと思うよ!」

とある仲間から掛けてもらった言葉です。

本当にその通りだと思います。

この年齢になってもチームから必要とされて、サッカーができること自体、物凄く幸せなこと。

しかも、自分の目標を達成できる可能性があるステージに立つことができる。

挑戦できること自体に、とても大きな価値があると思っています。

 

ただ、四度目の挑戦の今年こそ、優勝したいです。

優勝トロフィーを手にして、天高らかに掲げる自分の姿を想像すると、身震いがします。

それを実現するために必要なことは、自分が一番理解しています。

あとは、実行するかしないか。

僕自身が選択するだけです。

大好きな赤いユニフォームを着て、今年こそ優勝トロフィーを掲げます。

大津一貴

About The Author

大津 一貴
夢を諦めて一般企業へ就職するも、22歳でがんを患い生き方を改める 。その後、脱サラして海外でプロサッカー選手に。モンゴル1部・FCウランバートル所属。1989年10月25日生まれ、北海道出身。

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